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懐かしい「銀色の道」と私の原点「コロメロ」 [合唱]

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こんにちは。


ブロ友さんが、演奏会で「銀色の道」を歌っ
たと聞いた。
途端に半世紀以上も昔のことが脳裏に蘇った。


銀色の道は軽快で良い曲だ、ポップスのはし
りだね。1967年ダークダックスとピーナ
ッツが歌ってヒットした。
ダークダックスの代表曲の一つではないだろ
うか。


ダークダックスは大学の大先輩にあたる、
私がまだ高校生のころ大活躍したカルテット
である。憧れて高校で合唱サークルに入った。
これが合唱を始めるきっかけになった。


大学ではワグネルソサエティが有名だった。
ワグネルはダークダックスが学生時代を過ご
した男声合唱団である。


でも私は結局入らなかった。
混声合唱をやりたかったから。
大学には混声合唱団があったが気後れした、
田舎高校の混声合唱団で歌っていただけで
はついていけないのではと思った。


結局、公認団体でもない、しかも女子の
いない混声とは名ばかりの団体に入った。
当時、大学は男子校そのもの、女子学生は
希少的な存在だった。


これが私にとって大波乱の幕開けだった。
当時、学園闘争の最中で、学内集会を開い
たりした記憶がある。
合唱に情熱を注いでいて政治闘争にはま
ったく興味がなかった。


1年は、学外の女子大とジョイントし
たりして1年後半から短大の合唱サークル
と提携してようやく混声合唱団として出発し
たばかりだった。演奏会も開催した。


でも、演奏会直前に大事件が起こる。
現体制に不服な人たちがクーデターを起こ
したのだ。
4年制と2年制の提携は確かに無理があっ
たかも知れない。
詳しいことはここでは控えるが、最終的に団
は真っ二つに分裂した。
同級生たちが大勢去っていった。


新学期から運営する人員はわずか4,5人に
なった。これでは運営できない、大ピンチ。
2年生をパートナーにして新学期にかけた。
新入生に必死の勧誘、結局わずか20名そこ
そこの団員が100名近くになったのだか
ら、当時はよほど楽しみが少ない時代だった
のかな。


ピアノのある施設も殆どなくピアニストの
コネもなく、ボイトレなど考えられない時代。
練習は音取リは音叉、パート練習しアカペラ
で合わせる。
演奏会は学内の器楽団体に助けてもらった。
声楽のレッスンなどとてもとても。


それでも、伝統のある大学の合唱団は
150人以上の規模で体制は充実していたと
思う。
我々は存在すら認識されない団体。
しかも3年生は両校合わせ10人足らず、
技術的な基盤のない体制からのスタートだ
った。指導者の草野先生は大層苦労したと
思う、すでに亡くなられたが大恩人だ。


任期中どんなに突き上げられたか、ご想像
に任せたい。
合宿で深夜まで話し合い、練習では立った
まま眠ったり!!
私自体指揮の勉強もしてないのに、学生指
揮をした。お蔭で少しは楽譜が読めるように
なり、棒振りも少し出来る。
65年たち合唱団は国際交流ができるまで立
派な団体になった、


昨年は65周年記念でドイツレクイエムを歌
った。
来年6月にはOBOGが集まり、マエスト
ロの「坂本先生の就任40周年記念演奏会」
にモツレク、フオーレ・レクイエムを歌う。
私が運営に関与したのは、65年の内わずか
2年だが、誇らしい気持ちだ。


正式名称は慶応義塾大学・日本女子大学
コールメロディオンと呼びます。愛称コル
メロ。ぜひご贔屓に。
初演曲を多く手掛けて、海外交流、地域交流
にも積極的で楽界に大いに寄与しています。
演奏動画をどうかお楽しみください。


若々しい声には負けるけど、私ももまだまだ
頑張らなくては!!





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