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「鎌倉散策」(みなとみらい昼どき合唱団) [日記]

 紫陽花.jpg

 歌のつばさ、naoka19です。

6月16日、昼どきメンバーで恒例の
「鎌倉散策」を楽しみました。

総勢30名弱。鎌倉では駅前を除けは
予約なしで入れる店は限定されてしまいます。
昼食のお店選び大変だったと思います。

大変美味しいしらす丼、しかもデザートつき、
幹事ご苦労様でした。

ハイキング、みんなで食べる食事は楽しみの一つ
ですから。

見学先は、覚園寺(かくおんじ)、鎌倉宮。
健脚のグループは荏柄天神社まで足を伸ばしたようです。
私は階段が苦手、遠慮しましたが。

15日を過ぎましたが、紫陽花は満開といかずチラホラ。
今は梅雨の最中、雨を心配しまたが、降ることもなく、
暑くもなく最高でした。

「覚園寺」は鎌倉幕府二代執権、北条義時が建立した
薬師堂が起源といわれます。
創建は1296年。薬師如来がご本尊。それを「等身大」の
一二神将が守護しているのは圧巻です。

覚園寺からは歩いて、「鎌倉宮」へ。

「元弘の変」で討幕に失敗した後醍醐天皇は隠岐に配流されます。
天皇の皇子は還俗して護良親王を名乗り、
足利尊氏、新田義貞らと挙兵し鎌倉幕府を討伐し、
鎌倉幕府は滅亡します。
「建武の中興」です。護良親王は征夷大将軍に任じられます。

しかし護良親王は足利氏の謀反により捕らえられ、
東光寺(現鎌倉宮)の土牢に幽閉されてしまいます。
後に28歳で非業の最期を遂げます、
悲劇の主人公として知られていますね。

護良親王の着衣が再現展示されていましたが、
大変大柄で男らしい顔つき(”美化”して書いてます)
であったようですね。

明治天皇が、建武の中興に尽くされた親王に対し、
その御意志を讃えるべく神社造営を命じられ、
明治2年に創建されたとあります。
鎌倉宮は明治天皇自らが命名されたのです。

平家から鎌倉幕府、室町幕府の武家政治が始まったころは
戦国時代へと突入する直前、目まぐるしいほど変化した時代です。
大乱が立て続けに起こっています。
護良親王はその犠牲者の一人ともいえます。

今回は私は見学しませんでしたが、
「荏柄天神社」は日本3大天神の一つ。
祭神は菅原道真公、創建は1104年といいます。

鬼門を守る神。鎌倉では最古の木造建築です。
鶴岡八幡宮旧若宮を移築したとのこと。
境内には「樹齢900年のイチョウ」があります。

さらに、吉田松陰と関わりがある「瑞泉寺」。
松陰は煩雑に訪れ、*下田踏海事件を起こす直前にも
訪れていたといいます。
足利代々の菩提寺で足利基氏が葬られています。

「浄妙寺」やはり足利氏の寺。
本尊は釈迦如来。鎌倉時代から室町時代への歴史そのもの、
環境は実に閑静な佇まいです。

長々と寺院と神社の歴史を書きましたが、
当時は血生臭いものであったと思いますが、
現代から見るとロマンがあります。
鎌倉はそれが体感できる場所なんですね。

ぜひ、一年に一度は訪れて頂きたいと思います。
新しい発見があるかもしれません。

鎌倉は歴史の街ですが、閑静な住宅街でもあります、
歴史との共存は難しいところもありますが、
歴史は大事にしたいものですね。

17日は定期練習、気分を新たに頑張るぞ!?

★参考:下田踏会事件とは?

 http://rekisi7.blog.fc2.com/blog-entry-58.html

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