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お正月は日本古来の音楽文化を楽しもう。 [音楽]

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こんにちは。


皆さん今年は良いお所月を過ごされました
か。3ケ日は穏やかな天気が続きましたね。


さてお正月の歌としては滝廉太郎の「お正月
」が有名で、良く歌われる。
この曲は1901年に「幼稚園唱歌」として
発表された。


幼稚園唱歌?聞き慣れない名前だが。そこで
調べてみると。
1887年12月文部省が総力を挙げた「幼
稚園唱歌集」が発表された。
当然だが、原曲はみな、フランス、ドイツな
どの外国曲である。


「蝶々」、「霞か雲か」は今でも歌い継がれ
る。ただ難しい文語体で殆どが大人が歌う曲
といって良い。内容も幼児には難しいし。だ
から普及しなかった。


1901年に話し言葉(口語)の唱歌集が発
表される。
その中に「お正月」がある。簡単な伴奏つき
だった。


作曲は当時東京音楽学校の滝廉太郎。
滝はこの曲集を仕上げて、ドイツに留学す
る。22歳のときだった。
そのあとはご存知のとうり病を得て、帰国し
すぐ亡くなってしまう。


曲集は全20曲そのうち大半を滝が作曲して
いる。「雪やこんこん」「鳩ぽっぽ」「桃太
郎」は今も歌い継がれている。


日本固有の歌集ができた。日
本の歌曲が独り立ちした瞬間
である。


作詞の大部分は東京音楽学校の先輩の東
クメ。滝の作詞・作曲も4曲ある。もとも
との発案は東京女子高等師範学校の東基吉
だという。


依頼されたのは鈴木毅一と滝廉太郎。東夫人
のクメが滝廉太郎に協力し曲集が作られ
たのである。
そのとき東クメは東教音楽学校で滝はその
2年後輩だったという。


滝は16歳で東京音楽学校学校に入学、総
代で卒業。研究科に進学、2年生でピアノ
授業嘱託に任命された。それほどピアノに
長じ、ただひとり曲をつけられた天才だっ
た。


滝は東京音楽学校が編纂した中学唱歌にも
応募し当選している。
箱根八里, 豊太閤、荒城の月である。その
一週間後ドイツ留学へと旅立つのであるが
・・・


音大時代のエピソードがある。
東京音楽学校の教授、鳥居忱が自作の詞を
見せ曲をつける者はいないか聞いた。
ただ独り手を挙げたのが滝であった。その
曲の出来栄えにに鳥居は感嘆するばかりだ
ったという。


これをみると、当時の音楽界で自前の作曲
ができる滝はいかに貴重な存在であったか
がわかる。
滝廉太郎は日本歌曲普及に随分と貢献して
いるのだ。もしもはないが、滝がもう少し長
生きしてたらなあと考えてしまうのだ。


さてお正月に演奏される曲を集めてみた。

★お正月(滝廉太郎曲)
★一月一日(文部省唱歌)
★春の海(筝と尺八の二重奏)
失明の作曲家「宮城道雄」の名曲。
★六段の調べ(箏曲)
★千鳥の曲(琴と胡弓)
★越天楽(雅楽)
★さくら変奏曲(宮城道雄曲)、
「さくらさくら」(幕末の日本古謡)を
編曲したもの。

★初春(端歌)
★梅は咲いたか(江戸端歌)

現在に作詞作曲された歌は除きます。


残念だがだんだん失われていっている残
存文化。せめてお正月だけでも風習を残
したいものである。


ここにある端歌(はしうた)は、見慣れ
ない。
江戸時代に発達した歌曲、いわゆる当時の
流行歌のこと。
三味線の伴奏で演奏された。


長唄、小唄、かっぽれ、奴さん、木遣りく
ずし、さのさ、などなど。
都々逸も三味線の伴奏で歌われる。俗謡だ
から同じ流れかな。


私の若い時代には聴くことができたが、さ
すが最近ではあまり聴かなくなった。
お正月には、日本の伝統的音楽文化がいき
ているのだ。


年配の人なら誰でも親しんだ曲。筝とか雅
楽、最近はお正月の風物詩だが、本来は当
り前に演奏されていたもの。


もはや一握りの人しか歌えない残存文化の
数々。
歌は時代とともにあるもの、仕方がないけ
れど、どこかに残しておきたいと感じるの
です。


端歌「梅は咲いたか」の演奏動画です。



しっとりとした曲調。
お正月には似合うよね。
ひと昔前までには小唄も良く歌われていた。
「市丸」はその代表格でとても人気があっ
た。歌い方は優しくとても華があった。


でも今は、カラオケに席券されてしまった。
もはや味も素っ気もないボーカロイドの世
界でもある。もはや時代は変わってしまっ
た。とても複雑な思いである。




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