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クララ・シューマン生誕200年に寄せて [音楽]

kurara.gif
クララ・シューマン肖像画


こんにちは。


今年、2019年は、クララ。シューマンが生ま
れてから200年たつ。



クララ・シューマン

1819年 9月13日、ザクセン王国ライプツィヒ
生まれ 



1824年 父フリードリヒにピアノを習い始める。
(5歳の時)

1828年 プロデビュー、ゲヴァントハウスでモ
ー・ピアノ協奏曲のソリストを務める(なんと
9歳です)



同年、ロベルト・シューマンがクララの父フリ
ードリヒに師事する。運命の出会いを果たす。



5歳でピアノを学び始めるのは珍しくはない
がなんと9歳でプロデビューとは恐れ入る。
12歳から本格活動を始め、ヨーロッパで
絶賛されるのだ。
リストなどと同評価だったそうで、実力は本
物だ。



リストの言葉を紹介する。

「クララ・シューマンの作品は本当に驚くべ
きものです。特に女性としては。それらの
中はタールベルク(リストのライバル)の過
去と現在のすべての幻想曲と比べてみて
も、100倍もの独創性と真の感受性があ
ります」


もうベタ褒め。



実際に、リストはクララの歌曲3曲をピア
ノ独奏曲に編曲している。



シューマンと相思相愛の中になるも、父
親の猛反対似合う。
裁判にかけて押し切ってゴールイン。
とにかく意志の強さが垣間見れますね。



ただシューマンは若くして心を病み,36
歳で自殺してしてしまう。



夫の死後、その作品を管理し、都合の
悪いい作品は破棄してしまったことで
後世の批判もあります。



音楽界への貢献も相当なものた。
夫の作品を守り半生をささげ、フラン
クフルトの音楽院の教授を務め後世
のピアノ教育に多大の貢献をした。ま
さに実務型の天才と思う。



ドイツの紙幣に描かれるくらいだから
時代を超えたスーパーウーマンであっ
たと思う。



彼女の作品は大曲とは言えないが力
みも野望もない素直な気持ちが反映
されたもの。



さてシューマンが妻クララに捧げたげた
曲は有名な「献呈」です。
それから、もう一つ、ブラームスがクララ
に贈った曲、ご存知だろうか。



「雨の歌」バイオリンソナタ第1番ト調。
二人の偉大な作曲家からこのように素
晴らしい曲を送られるなんて、さぞ魅力
的な女性だったと推察する。



今回はクララ本人の「3つのロマンスか
ら第3曲」をお聴きください。



クララの演奏、生で聞きたいとおもうの
は私だけかな。



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私が歌好きになったのは・13歳 [音楽]

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Misse brevis in G (Mozarto)



こんにちは。


まだ、新年の三が日だが、私には気がかり
がある。今年も5月のアンデイムジークコン
サートでミサ曲を歌うのだが・・・


いまは何度も読み込んでいる最中だ。滑
舌がとても難しいところがある
歌うのはモーツアルト”Messa brevis in G
(KV49)”


20分ほどと短いが、モーツアルトらしく変化
があって難しい。音程とラテン歌詞が上手く
連携しにくいのだ。特にクレド、225小節と
長い。


宗教曲はここ3年連続して歌った。今年も歌
う。とても恵まれているのだが

2014,2015年はベートーベンの第九
2016年はブラームスのドイツレクイエム
2017年シューベルトミサ曲Messe in G 
2018年フォーレとモーツアルトのレクイエ

2019年モーツアルトミサ曲


わたしはキリスト教信者ではない。ただはる
か65年前、日曜教会の礼拝に参加したこと
があるだけです。


当時足の手術に失敗し一生治らない障害を
抱えて悩んでました。絶望で投げやりになら
ずにすんだのは、教会のお陰だと思う。


たぶんこの経験がなければ、歌の世界に入
ることもなかったろう。
混声合唱を始めたのが高校2年、大学で本
格化して4年。ただ殆どは日本の歌、世界
の民謡だった。



宗教曲も歌ったが第1・2回の演奏会でハレ
ルヤコーラスと宗教的作品、4つのマドリガ
ルのみ。ここで私は卒業。
合唱団の名は慶応義塾大学・日本女子大学
コール・メロディオンという。

長いね、愛称はコルメロ

コルメロの演奏会では宗教曲を必ず1ステ
ージ歌う。それも毎年である。
ミサ曲、レクイエムを合わせれば45回。モ
テット、マドリガル等をいれれば60回弱は
歌った。これは驚異だと思う。これだけ宗
教曲に特化するのは凄いと思う。


私は仕事引退後、2014年に昼どき合唱
団に入り合唱を再開した。
でもステージで歌うことはあっても教会で
歌ったことがない。一度は歌いたいものだ。
合唱団仲間には聖歌隊の人がいるのに。


今思うと中学の1年の時は、私の人生で
精神的にも、肉体的にも一番苦しい時期だ
った。若かったので乗り切れたようなもの。
その後の苦労など比較にならない


その時の思い出を3年前にブログに書い
た。かなり昔の記憶で定かでないところも
ある。ただ京都の大学病院の屋上で大文
字の送り火を見た時のことはいまでもはっ
きりと思いだせる。


入院中の忘れられない記憶。

◎京都はとにかく”暑”かった
◎先生の「動脈注射」が下手
でマジ痛かった
◎病院内の本を読みつくしたかも!

入院中での収穫は読書。ギブス装着で歩け
ないので本を読みまくった。ついには付添い
の祖母から1日1冊に制限される始末。


おかげで国語と社会は高校、全国の模擬
試験では一桁ランクだった!??
(自慢にもならないのに笑・・・)


湯ヶ島(当時は田方郡湯ヶ島村)のような片
田舎に教会ができたのは偶然だ。そこで賛
美歌に出会ったのが歌を始めるきっかけに
なった。感謝の思いばっかり。


★遥か65年前の記憶、2年前に記事にしています。

賛美歌「いつくしみ深き」に込められた思い出
https//blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/article/edit/input?id=102985587


ブログの記事にある天城山荘はプロテス
タントの研修所です。もちろん教会も併設し
していて拝も行います。


*文中、神父とありますが牧師の誤
りです(神父はカトリックの呼び名ですね)



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