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滝廉太郎、辞世のピアノ曲「憾み」と「荒城の月」改変 [音楽]

Taki_Rentaro.jpg

滝廉太郎肖像



こんにちは。


今日は歌を離れて、いややはり歌の話題で
す。


彼の残した楽曲はわずかだった。いやもっ
と作っていたのだろうが、結核に感染すると
いう理由でなんと焼却されてしまったのだ。



滝廉太郎は日本最初の天才作曲家として
明治時代に活躍した作曲家だ。
だが彼の活躍期間は短いものだった。
留学先のドイツで結核を患い、わずか数か
月で帰国。そしてあの世に旅立ってしまう。



彼の残した楽曲はわずかだった。いやもっ
と作っていたのだろうが、結核に感染すると
いう理由でなんと焼却されてしまったのだ。



残っているのは、名曲荒城の月、花、など
歌曲、童謡20曲あまり。ピアノ曲2曲。
後世の人に彼の楽曲を伝える機会を奪っ
てしまった、本当に芸術作品に対するこの
時代の後進性には腹が立つ。



辞世の曲となったのがピアノ曲「憾み」で
ある。、若くしてこの世を去らなければなら
ない理不尽さ、言いようのない怒り、後悔
、あらゆる感情が渦巻いているのがわか
る。
短い曲だが感情表現は素晴らしいもの
がある。ヒシヒシと伝わってくるのだ。
そして、最後の一音が怖いのです!!



初めて誕生した天才作曲家。さぞ厚遇された?
いやいや逆に冷遇されていたと思うふしがあ
る。それが、滝廉太郎の死後現れてくるのだ。



まず文部省唱歌の問題。
1800年代の終わり文部省は童謡を作って広
めようとした。だが、官製では限界があった。
そのため文部省唱歌として公募した。



滝はそれに3曲応募して見事合格する。
鳩ぽっぽ・雪やこんこん・荒城の月だ。
従来の、外国の曲に日本の歌詞をつけただ
けの歌曲と違い、滝の作曲は純粋の歌曲と
いえよう。



特に「荒城の月」は外国にも広くそのを知ら
れた名曲だ。
ただ、「鳩ぽっぽ、雪やこんこん」は当選した
が採用されることはなかった。



奇怪なことに、滝の死後、文部省は名前は
違うが、殆ど同じ歌詞の鳩、雪を「作者不
明」として採用している。意図が分からない
行為だ。それならなぜ公募したのだ。



実際には、作詞作曲者がはっきりしている
滝の作品を採用しないで、まるで盗用したか
のような作者不明の歌を採用する、とても考
えられない行為だ。



著作権という概念が確立していない時代と
はいえ奇妙だ。役人が滝の才能に嫉妬した
という説がある。いくらなんでもね。



どういういきさつがあったか知れないが、こ
れを見ても、当時の文部省が、滝廉太郎を
軽視または無視したとしか思われないのだ。



異国に単身で留学させたのも唐突だったと
いう。当時のドイツは結核が蔓延していた
そうだ。羅病の危険があった。なぜ留学さ
せたのか。結局結核にかかり命を落とすこ
とになるのだから、本人にすれば恨みたく
なるよなあ。



そして数年後、もっと奇怪な事件が起こる。
滝廉太郎の荒城の月を編曲した者がいる。
それは、かの山田耕作だ。大正6年のこと。
もはや編曲の域を超えている。改変だ。



荒城の月を移調し、一部を変え、テンポも変
えて、ピアノ伴奏をつけて発表した。
私は、山田耕作が作曲の先輩の曲を独断で
改変したとは到底考えられないのだ。誰か
依頼者がいるのではと思う。



改変の意図が語られていないので、まった
くのナゾであるが、事と次第によっては大変
なスキャンダルだと思う。



大体、他人の作曲した歌曲を改変し、テン
ポまで変えて同名の曲で発表する神経が
理解できない。
後世にはその改変した曲が「荒城の月」と
してまかり通っているのだから。



一説では、滝の原曲にはジプシー音楽に通
じるところがあり日本的でないからという。
でも、滝廉太郎は西洋音楽に感化されて作
作曲したかもしれないのだ。彼の意図をブチ
壊しにしているかもしれない。



とにかく、原曲を改変するなんてあってはなら
ないと思う。ただ、外国では原曲が歌われて
いるそうだから救いだが。



滝廉太郎の原曲はこれである。ユーチューブか
ら原曲を借用した。




「春高楼の 花の宴」のえんの”え”が原曲で
は♯がついている。
山田耕作は♯をとって、半音低くした。これで
西洋音楽の影響を受けた原曲を日本音楽らし
くした?ということらしい。
わずか半音というなかれ、これでまったく違う
曲になってしまったのだから。



滝廉太郎はすでにこの世にはいなかったか
ら了解を得ることはもちろんできない。
この曲のオリジナルの価値を著しく毀損して
いるのだ。



それならば、編集版であることを明示して、
世に出すべきだと思う。
滝廉太郎の曲に対する敬意がまるでない。
みんな自分たちの都合。
しかも今それが「荒城の月」として歌われて
いる。
どうも納得がいかないのだ。



私が嘆いても仕方がないが、これに対する
議論が殆どないのも悲しい。
本来なら、滝廉太郎の名誉を傷つける行為
なのに世間ではどうもそう思っていないよう
なのだ。かえって日本的な旋律でいいという
人までいる始末。



私が歌うとしたら原曲にしようと思う。それ
が作曲者にたいする敬意だから。



さて滝廉太郎は敬虔なクリスチャンだったら
しい。麹町にあった教会のオルガン奏者だっ
たという。
美声でピアノの演奏技術に長けていたらし
い。素晴らしい才能の持ち主だったのだ。



「荒城の月」は宗教曲の影響も受けている
ようだ。だから日本の楽曲というより広く海
外でも親しまれている、世界的な名曲なの
だ。



荒城の月にはジプシー音楽(ハンガリー音楽)
が読み込まれていると書いた。
それを語るエピソードを最後に紹介しよう。



それは、荒城の月がベルギーの東方正教
教会シュべトーニユ修道院の典礼曲に採用
されているのだ。「ケルヴィム賛歌」という。
もちろん、歌詞は古典スラブ語の典礼文で
ある。採用されたのは1967年だという。



スラブ地方の歌にはジプシー音楽が基調に
あるらしい。荒城の月の原曲にもジプシー音
楽の影響があるといわれる。



ベルギーで見事に繋がったのである。残念
なことに、採用された「荒城の月」は♯のない
改変曲だったそうだが。



歌を歌うのも楽しいが、歌の由来をたどる
のも楽しいもの。これからも続けてゆきた
いと思う。



(追記)


昨日6日、戸塚童謡の会があった。これはプ
ロの歌手の先生がご案内役で、昔の歌・懐し
しい歌を、会場全体で歌う会だ。昔でいえば
、歌声喫茶だろうか。



昨日のご案内役はバリトン歌手の森口賢二
先生だった。そこでソロを歌っていただいた
のだが、なんと「荒城の月」。
果たして、原曲を歌われるか大変期待した。



ブラーボ、素晴らしい、原曲(滝廉太郎のオリ
ジナル曲(#付)きで歌われた。
しかもわざわざ、「荒城の月」はオリジナル曲
と山田耕作の編曲があることを説明してくだ
さった。



正しいことがちゃんと受け継がれているという
が大層うれしい。森口先生ありがとうございま
した。
すでにこの記事読まれた方ごめんなさい。別
記事にて触れたいと思います。



(11月6日)naoka1



  
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感情が渦巻いているのがわか

る。

短い曲だが感情表現は素晴らしいもの

がある。ヒシヒシと伝わってくるのだ。



そして、最後の一音が怖いのです!!











初めて誕生した天才作曲家。さぞ厚遇された?

いやいや逆に冷遇されていたと思うふしがあ

る。それが、滝廉太郎の死後現れてくるのだ。





まず文部省唱歌の問題。

1800年代の終わり文部省は童謡を作って広

めようとした。だが、官製では限界があった。

そのため文部省唱歌として公募した。





滝はそれに3曲応募して見事合格する。

鳩ぽっぽ・雪やこんこん・荒城の月だ。

従来の、外国の曲に日本の歌詞をつけただ

けの歌曲と違い、滝の作曲は純粋の歌曲と

いえよう。





特に「荒城の月」は外国にも広くそのを知ら

れた名曲だ。

ただ、「鳩ぽっぽ、雪やこんこん」は当選した

が採用されることはなかった。





奇怪なことに、滝の死後、文部省は名前は

違うが、殆ど同じ歌詞の鳩、雪を「作者不

明」として採用している。意図が分からない

行為だ。それならなぜ公募したのだ。





実際には、作詞作曲者がはっきりしている

滝の作品を採用しないで、まるで盗用したか

のような作者不明の歌を採用する、とても考

えられない行為だ。





著作権という概念が確立していない時代と

はいえ奇妙だ。役人が滝の才能に嫉妬した

という説がある。いくらなんでもね。





どういういきさつがあったか知れないが、こ

れを見ても、当時の文部省が、滝廉太郎を

軽視または無視したとしか思われないのだ。





異国に単身で留学させたのも唐突だったと

いう。当時のドイツは結核が蔓延していた

そうだ。羅病の危険があった。なぜ留学さ

せたのか。結局結核にかかり命を落とすこ

とになるのだから、本人にすれば恨みたく

なるよなあ。





そして数年後、もっと奇怪な事件が起こる。

滝廉太郎の荒城の月を編曲した者がいる。

それは、かの山田耕作だ。大正6年のこと。

もはや編曲の域を超えている。改変だ。





荒城の月を移調し、一部を変え、テンポも変

えて、ピアノ伴奏をつけて発表した。

私は、山田耕作が作曲の先輩の曲を独断で

改変したとは到底考えられないのだ。誰か

依頼者がいるのではと思う。





改変の意図が語られていないので、まった

くのナゾであるが、事と次第によっては大変

なスキャンダルだと思う。





大体、他人の作曲した歌曲を改変し、テン

ポまで変えて同名の曲で発表する神経が

理解できない。

後世にはその改変した曲が「荒城の月」と

してまかり通っているのだから。





一説では、滝の原曲にはジプシー音楽に通

じるところがあり日本的でないからという。

でも、滝廉太郎は西洋音楽に感化されて作

作曲したかもしれないのだ。彼の意図をブチ

壊しにしているかもしれない。





とにかく、原曲を改変するなんてあってはなら

ないと思う。ただ、外国では原曲が歌われて

いるそうだから救いだが。





滝廉太郎の原曲はこれである。ユーチューブか

ら原曲を借用した。







「春高楼の 花の宴」のえんの”え”が原曲で

は♯がついている。

山田耕作は♯をとって、半音低くした。これで

西洋音楽の影響を受けた原曲を日本音楽らし

くした?ということらしい。

わずか半音というなかれ、これでまったく違う

曲になってしまったのだから。





滝廉太郎はすでにこの世にはいなかったか

ら了解を得ることはもちろんできない。

この曲のオリジナルの価値を著しく毀損して

いるのだ。





それならば、編集版であることを明示して、

世に出すべきだと思う。

滝廉太郎の曲に対する敬意がまるでない。

みんな自分たちの都合。

しかも今それが「荒城の月」として歌われて

いる。

どうも納得がいかないのだ。





私が嘆いても仕方がないが、これに対する

議論が殆どないのも悲しい。

本来なら、滝廉太郎の名誉を傷つける行為

なのに世間ではどうもそう思っていないよう

なのだ。かえって日本的な旋律でいいという

人までいる始末。





私が歌うとしたら原曲にしようと思う。それ

が作曲者にたいする敬意だから。





さて滝廉太郎は敬虔なクリスチャンだったら

しい。麹町にあった教会のオルガン奏者だっ

たという。

美声でピアノの演奏技術に長けていたらし

い。素晴らしい才能の持ち主だったのだ。





「荒城の月」は宗教曲の影響も受けている

ようだ。だから日本の楽曲というより広く海

外でも親しまれている、世界的な名曲なの

だ。





荒城の月にはジプシー音楽(ハンガリー音楽)

が読み込まれていると書いた。

それを語るエピソードを最後に紹介しよう。





それは、荒城の月がベルギーの東方正教

教会シュべトーニユ修道院の典礼曲に採用

されているのだ。「ケルヴィム賛歌」という。

もちろん、歌詞は古典スラブ語の典礼文で

ある。採用されたのは1967年だという。





スラブ地方の歌にはジプシー音楽が基調に

あるらしい。荒城の月の原曲にもジプシー音

楽の影響があるといわれる。





ベルギーで見事に繋がったのである。残念

なことに、採用された「荒城の月」は♯のない

改変曲だったそうだが。





歌を歌うのも楽しいが、歌の由来をたどる

のも楽しいもの。これからも続けてゆきた

いと思う。





(追記)



昨日8日、戸塚童謡の会があった。これはプ

ロの歌手の先生がご案内役で、昔の歌・懐し

しい歌を、会場全体で歌う会だ。昔でいえば

、歌声喫茶だろうか。





昨日のご案内役はバリトン歌手の森口賢二

先生だった。そこでソロを歌っていただいた

のだが、なんと「荒城の月」。

果たして、原曲を歌われるか大変期待した。





ブラーボ、素晴らしい、原曲(滝廉太郎のオリ

ジナル曲(#付)きで歌われた。

しかもわざわざ、「荒城の月」はオリジナル曲

と山田耕作の編曲があることを説明してくだ

さった。





正しいことがちゃんと受け継がれているという

が大層うれしい。森口先生ありがとうございま

した。

すでにこの記事読まれた方ごめんなさい。別

記事にて触れたいと思います。



(11月6日)naoka1



                             


























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