歌のある日常 [合唱]
こんにちは。
歌のつばさのnaoka19です。
27日、ゴールデンウイーク前の練習だった。
今日は山田先生はお休み、尾花先生の指導を受けた。
6月9日に歌う曲の練習は2回目。
音取りも完全に終わったわけでは無い。
合唱においては、人が楽器だが。
ただ、他の楽器と違う点をバイオリンを使っての説明を受けた。。
ポルタメントなどを軽々しくかけると合唱としては最悪になることも。
声帯のコントロールが重要なことの理由など。
音符を安易にのばしたり、切ったりすると曲がだらしなくなるとも。
楽譜に書いてある長さは厳格に守る。
基本中の基本であるが、歌い慣れてくると案外疎かになること。
そして何度も言われるのは、曲のスタート、
不揃いという指摘。合唱としてはこれこそ致命的だ。
歌い始めは一点のみ、指揮棒が最下点に降りたとき。
でもこれがなかなか我慢が出来ないものなのだ。
そのための準備として、ブレスから揃えておく。
合唱とは揃えることなりかな。
スタートの数節は暗譜が絶対条件だ。
曲の途中のチラ見は仕方ないとして(へばりつきはダメ!)
指揮を見てなければ、揃う筈がない。
楽譜にこだわれば、指揮は見えない理屈だ。
曲の仕上がりが不安だとしても、せめてスタート、
節の変わり目、終わりは暗譜を励行したいもの。
それに、歌いながらお客さんの顔を
見るというのも重要だ。
楽しんでいれば幸せそうな顔の筈だから。
まず、ステージに立ったら、ゆっくり周りをみる。
例外なく、客席は期待に満ちている筈です。
そして、歌ううちに幸せそうな、
楽しそうな顔になったら、やったぜ!だ。
そして終わってブラボー!を受けたらもう最高。
実際そういう顔を見たことがあるのです。
終演になったのに席を立たないで、
本当に幸せそうな顔だった。
いまだに印象に残っている。
練習は決して楽しいばかりではない、
欠点を指摘され、なんどもやり直し、
そのうちに、仏の先生が鬼(失礼!)に見えてくる。
自分としてもでも必ずどこかでミスし
完璧に歌えたことなどは演奏会直前でもないと思う。
自信を持ってステージに上がれる人は一握りの人。
大体は不安を抱えて本番をスタートする。
楽譜に先生に指摘されたことが書いてあったとしても
見る前に体が反応してしまうのだ。
練習で体に覚えさせる、これしかない。
本番は集中するから、良い結果が出ることも多いが
出来ないところ、覚えてない箇所はやっぱり失敗する。
練習の重要性を再認識した一日だった。
28日はベルフラワーの練習(赤十字点字奉仕団関連演奏会)
&世界民謡を歌う会、
29日は本牧でライブ鑑賞
30日は田舎へ、
と結構多忙だ。
ゴールデンウイークはゆっくり休養かな。
6日からの忙しい日常に備えよう。
にほんブログ村
コメント 0