SSブログ

若き天才詩人「金子みすゞ」との出会い(洋光台混声合唱団) [合唱]

 a1580_000013_m.jpg

歌のつばさ、naoka19です。

もう3カ月が過ぎてしまいましたが、
今年4月4日、洋光台混声合唱団は
2年ぶりの演奏会「アンデイ・ムジーク コンサート」
を開催しました。

演奏曲目に「みすゞこのみち」という組曲がありました。
(金子みすゞ詩、鈴木憲夫作曲、指揮:土居規子)

これは、大正期の童謡詩人、金子みすゞさんの詩に
鈴木先生が曲をつけたものです。

私は昨年㋊、演奏会に向けて、「みすゞこのみち」を練習をはじめて、
「金子みすゞ」(1903 - 1930)を知りました。
その時は、大正時代の末期に活躍した天才詩人、26歳で夭折した
という、通り一辺の知識しかありませんでした。

でも最近、「金子みすゞ」が見直されているというのです。
朝日デジタル新聞の記事の引用文を下記に載せたので
ご覧ください。

あの、最悪の大震災、東日本大震災後を契機として、
彼女の日常の尊さを詠った詩が再評価されているのです。

当たり前すぎて見過ごしていた大事なことに、
みすゞは気づき、誰にでもわかる言葉で表現している
といいます。

実際、みすゞさんの詩は人間視点ではありません、
生きるもの全部です。もちろん人も入っていますが。

そして、私たちが歌った、組曲「みすゞこのみち」は、
詩人と作曲者の意図がマッチングして
とても、ドラマチックで、美しかったと思います。

それぞれの詩の内容は、日常的で、一見ただの詩です。
でもなんとなく寂しげです。
飾りもなにもないし、ただ天真爛漫に書いている印象もあります。
でも奥行があるんですね。

彼女は「このみち」の先にはなにがあると思ったの
でしょうか。(「このみちⅠ・Ⅱ」より)
今の自分の境遇に対する、切ない思いが表れている
気がしてなりません。

「みすゞこのみち」、歌になったら数段素晴らしい。
歌っていて共感を覚えるのです。
最初は女声合唱からのスタートだったそうです。
そして、混声合唱が出来、出会いがあったわけです。

合唱の醍醐味は、
こういう曲に出会えるからですね。

180px-Kaneko_Misuzu.jpg

 (金子みすゞ・出典:ウイキペディア)

★以下、鈴木先生ご自身のHPに掲載された鈴木先生の
 お話の抜粋です。
(曲の意図が良くわかると思います)

この作品の第一曲目「このみちI」、そして終曲「このみちII」
は同じ曲です。しかし「このみちII」ではソロが入ります。

同じ曲をどうして違うスタイルにしたかというとそれなりに
理由があります。

組曲のタイトルを「みすゞこのみち」としたように、
この詩はみすゞさんの「声」そのものの
ように私は感じました。

うつむくことばかりの多かったであろう
みすゞさんの現実の中で、
常に空を、雲を遠くに仰ぐような思いで
みすゞさんは生きてきたのだろうと思います。

「このみちII」のソロは、
まるでみすゞさんその人が歌うかでもするように、
宗教曲をイメージしました。

いわば鎮魂歌です。
みすゞさんへの。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


組曲「みすゞこのみち」の歌詞の一部を紹介します。
「私と小鳥と鈴と」、表現力がとても豊かだと思います。

最後のフレーズは
「みんなちがって、みんないい。」
生けるものへ愛情がタップリと含まれていますね。
私のお気に入りの言葉です。

☆「わたしと小鳥と鈴と」歌詞

わたしが両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように、
たくさんなうたは知らないよ。

鈴と、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

組曲はこの曲を入れて全7曲。
一つ一つが素晴らしい。一度手に取って見てくださいね。

演奏会当日には、組曲「みすゞこのみち」の作曲者である
鈴木先生に来場いただき、その前で演奏することができました。
貴重な機会でした。

出来栄えが気になりましたが、
でも歌は気持ちです、精一杯歌ったつもりです。

最後に鈴木憲夫作曲、組曲「みすゞこのみち」の混声合唱の動画を貼りました。
私たちの演奏ではありませんが、お楽しみください。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「参考記事」

 引用文:「朝日新聞デジタル」(2012,7,6)より

「金子みすゞ根強い人気 日常輝かす視点、震災後に響く」

東日本大震災後に注目された童謡詩人の金子みすゞが、
いまも根強い人気を保っている。

大災害に直面して初めて、多くの人が気づいた日常の尊さ。
昭和初期に20代の若さで逝った
詩人はとうの昔から、その輝きをしなやかに、
軽やかに言葉に紡いでいた。

みすゞ(本名テル)は1903年生まれ。女学校を卒業後、
詩を雑誌に投稿し始めた。結婚し長女を授かったが、
26歳で自ら命を絶った。

みすゞの知名度が一気に高まったきっかけは、テレビCMだった。
震災直後に企業がCM放送を自粛する中、みすゞの詩を朗読する
ACジャパンのCMが繰り返し流れたためだ。

すると、昨年度は山口県長門市にある「金子みすゞ記念館」
の来館者が前年度比で2倍近い15万人超に。
童謡集「わたしと小鳥とすずと」の売り上げも4万部と
例年の倍以上に達した。

勢いは海外にも及び、中国では初の全集まで発売された。
9日には、ドラマ「金子みすゞ物語」がTBS系で放送される。

人はなぜ彼女の詩に魅せられるのか。
記念館の矢崎節夫館長は「当たり前すぎて見過ごしていた大事なことに、
みすゞは気づき、誰にでもわかる言葉で表現しているからだ」という。

例えば、CMでも流れた「『遊ぼう』っていうと 『遊ぼう』っていう」に
始まる「こだまでしょうか」。

思いを受け止め呼応してくれる人がいる何げない日々の輝きをうたう。
シンプルな言葉で描く日常は、震災後という「非日常」を生きる
日本人にとって、ひときわまぶしく感じられるというわけだ。

視点を多様化しているのも、みすゞの詩の特徴だ。
「雀(すずめ)のかあさん」では、子スズメを捕まえた子どもの母親は
笑って見ているが、母スズメは鳴かずに様子を見ていた、
と動物の視点を強調。

別の詩では「きのふは子供をころばせて けふはお馬をつまづかす」
と石ころにもなり、人と自然との距離を相対化させる。 

こうした人間中心ではない世界観は仏教の教えに重なり合う、
と震災前からみすゞの詩を講演会で紹介し続ける
群馬県東吾妻町の僧侶酒井大岳さんは指摘する。

「彼女は人が自然の中で生き、生かされていることを軽やかにうたう。
モノやお金では満たされないうつろさに覆われる日本で、
信仰のように心のよりどころとなっているのかも知れません」

(佐藤美鈴)


にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村



合唱・コーラス ブログランキングへ


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。